山形の花笠音頭の詩にある「めでた、めでたぁ~の若松様よ」で有名な「鈴立山若松寺」は、今から約1300年前、奈良時代に行基菩薩が開山した霊場です。その後、平安時代に山寺の立石寺を開山された慈覚大師(円仁和尚)が当山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、造営工事をし大規模な伽藍配置をしました。 この時期に奈良仏教の法相宗から平安仏教の天台宗となり、開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師として祀られています。 室町時代には西国の観音巡礼信仰が東国にも普及し、最上三十三観音札所の第一番に位置づけられており、現在も毎年多数の巡礼者が訪れています。江戸時代には観音堂を大改修し、三代将軍徳川家光が御朱印として保証しています。 現在では、「西の出雲、東の若松」と、出雲大社と並び称されるほど、縁結びの観音様として有名なほか、旧正月7日に行われる「鬼やらい」は「色力安穏」という人間の本願を祈念する行事が知られています。 平成20年(西暦2008年)に開山1300年祭を迎えました。
お遍路さんと呼ばれる四国八十八遍路、京都・奈良周辺三十三観音を巡る西国三十三所巡礼などは知る人の多いところですが、山形にも「最上三十三観音巡礼」があります。 最上三十三観音巡礼は一つは「番外」を含め三十四箇所を、山形県を縦断するようにおよそ200km余り巡ります。 室町時代には西国の観音巡礼信仰が東国にも普及し、若松寺は最上三十三観音札所の第1番に位置づけられております。 室町時代に建立されたとされる観音堂は、改修の際に奈良や京都の寺院で多く使われるヒノキやケヤキを使わず、構造物には不向きとされる山形の最上地方に多いブナ材を材料に行われた為、全国的にも非常に珍しい御堂であり、国の重要文化財に指定されています。その他にも多数の文化財が残されていると共に、観音堂内部には江戸時代の参拝者が書いたとされる落書きが残っており、1番札所として多くの人々に親しまれて来たかを語る資料にもなっています。
毎年4月~12月の第一日曜日に開催される「縁結び祈願祭」は、天童市観光物産協会の働きかけで実現したイベントです。若松寺は観光雑誌などで「縁結びの神様」として紹介されたこともあって、現在も20~30代の人気が高く、全国から多くの人が訪れています。そこで、同じ協会では、友人や仕事上の関係も含めた総合的な「良縁結び」の場として売り出そうと祈願祭を企画し、好評を収めたことにより、毎月第1日曜日に定期開催し観光客の誘致に努めています。 近年ではタレントの「山田花子」さんがTV番組でこちらを訪れた半年後に現婚約者との交際を発表した事などで話題を集めております。 特に住職と握手をすると良縁に恵まれるとされており、山田さんもこの握手を受けられたそうです。 祈祷祭の参加料(祈祷料)は1,000円で、オリジナルの縁結び絵馬がプレゼントされます。予約等はひつようありません。恋人同士の仲だけでなく、様々な人生のご縁を結ぶ縁結びの場として広めていくということなので、恋愛のご相手以外にも様々な縁を求めて祈祷・絵馬の奉納をしてみるのはいかがでしょうか?
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